中澤 聖子さん(「Mina Watoto」代表)
俳優として舞台に立ち続けてきた中澤さん。小学生を対象とし、半年間(全10回)にわたる「表現ワークショップ」を開催しています。そこで大切にしている「遊び」って何でしょう?「自由な表現」って、どういうことなのでしょう?
「今、生きてる!」を集めたい
中澤 聖子さん(「Mina Watoto」代表
俳優として舞台に立ち続けてきた中澤さん。小学生を対象とし、半年間(全10回)にわたる「表現ワークショップ」を開催しています。そこで大切にしている「遊び」って何でしょう?「自由な表現」って、どういうことなのでしょう?
「遊び」って何でしょう?
中澤さんが主催されている「表現ワークショップ」について教えてください。
「表現ワークショップは今年で2回目です。前半は『カラダと遊ぶ』『音と遊ぶ』『おはなしと遊ぶ』などのテーマを投げかけて子どもたちと遊び、後半は子ども自身の中でひらめいたもの、創りたいものをグループでわかちあって簡単な作品を創り、最後の10回目に発表会をします」
身近なものを使って、どんな表現ができるかな?
発表会ではお芝居をするとか、歌を歌うとか、決まってはいないんですね?
「はい、何でもいいです。去年は紙芝居とか、音に合わせたけん玉とか、いろいろありました。『すごいものを創らなくていい』ということを大切にしています。『自分はこういうことが好きなんだ』『表現するって面白いんだ』などを、子どもが感じるきっかけになればそれで充分です。できあがりのクオリティが目的ではありません」
表現ワークショップを開催しようと思ったのはなぜですか?
「娘が小学生になって、窮屈そうにしているなあ、と感じました。娘だけではなく、友達もみんな。決められた通りにしなくてはいけなくて、遊ぶ時間がなくて。
子どもって、『遊び』がすべての根本にあるのだと思います。遊びが嫌いな子に出会ったことがない。いろんな遊び方はもちろんあるにせよ、人と関わって何かを創り出す遊びをしている時って、みんな目が輝いてすごく楽しそうですよね」
……実は私ね、あんまり遊ぶのが好きじゃなかったんです。追いかけっことか大嫌いでね。小学校にあがる前は、なんと!勉強するのが好きでした(笑)。たまにドリルを買ってもらうと、夢中でやりましたね。小学生になって勉強しなきゃいけなくなったら、嫌いになってしまいまして。残念。
「なんでそんなに面白かったのでしょうね?」
わからないことが、わかるようになるのが嬉しかったのかな。誰にも気を使わないで、自分のペースでできますし。
「それがきっと『遊び』で、自分の時間だったのでしょうね。追いかけっこするだけが遊びではない気がします。
いかに自分が主体的にそこにいられるか、が、面白いと思えるか思えないかの分け目かもしれません。『私』はどうしたいのか。小学生になって勉強が嫌いになってしまったのは、主体ではなくて与えられるものになってしまったからでしょうね。
正解がないこと、失敗してもいいことが、遊びの大事なところだと思っています。自分で考えていろいろやってみて、うまくいかなかったらどうしたらいいか考えて、またやってみる。主体性を持って動いている時、子どもは輝いています。でもそれが何をしている時なのかは人によって全く違って、ある子はずっと音楽にのって体を動かしている時が自由かもしれないし、ある子はじっと座って思考している時が自由かもしれない。ドリルをやっている時かも、ね。
一人ひとりをきちんと見て、その子が出すものをしっかりと吸い上げていけたらいいなあと思います」
俳優と、先生と
「私自身、大人になるまで自分の意見を言うことがとても怖かったのです。それが変わったのは、20代後半にフランスへ行ってからですね。パリにあるジャック・ルコック国際演劇学校に入ったのですが、『ああ、なんて自分でいられるの!』と感動しました。どんなことについても、フランスでは意見を持っていることが当たり前、その意見をはっきり言うことも当たり前。日本では、空気を読まなきゃいけない、雰囲気を壊しちゃいけない、暗黙の了解……をずっと感じて生きてきたので、こんなに自分のことを言っていいんだ、というのは衝撃でした。
25か国くらいから生徒が集まっている中で、『私は日本人なんだな』とも強く感じました。生まれて初めて日本のことを外側から見て、あらためて『こんないいところもある』ということも感じたし、『あ、ここが私、苦しかったんだ』ということもよくわかりました」
演劇をやりたい思いは子どもの頃からあったのですか?
「幼少の頃から、人前でCMの真似をしたり、面白いことをするのが好きでした。小・中学生の時も、学芸会で演じる楽しさを体感したり、文化祭の劇で脚本・演出を担当し、創る面白さを感じたり。
大きな転機は、高校で演劇科に行ったことです。中学の時はとにかく『勉強』が面白くなく、興味もありませんでした。好きな教科は『体育』『音楽』『図工』!
私は4人姉弟の3番目なのですが、姉も両親も頭が良くて。その中で私だけ、通知表で2を普通にとってきちゃう。高校を決める時も『別になんでもいいや』と興味を持てず。
そこで母が見つけてきてくれたのが、演劇科のある高校でした。勉強が少なくて、演技や実技の授業が多い。もう目がキラーッですよね。『勉強しなくていいの?行く!』と。
本当に3年間、幸せでした。毎日が楽しくて楽しくて。お芝居、ジャズ、バレエ、声楽、日舞……。ずっと表現し続けたかったのです、自分が自分でいられる瞬間なので。
大学も演劇科に進み、そこで教授として教えていらした蜷川幸雄さんと出会い、本当に大きな影響を受けました」
蜷川さん、怖いですか?
「うん、怖い(笑)。愛がある怖さだけど、うん、かなり厳しい。でもその怖さも含め、なんだか言っていることを信じられる、という感じがありました。必死で食らいつくぞ、と思いましたね。卒業して蜷川カンパニーに入ったので、学生時代から合計で5年間くらい関わらせていただいたかな。
蜷川カンパニーでは、一流の俳優さんたちと一緒にお芝居をする機会がたくさんあって、得たものも大きかったです。演じるってどういうことなんだろう、とか、芝居の面白さを感じさせてもらいました。私の根幹を作ってくださった方です」
演劇科のある高校を勧めてくださったお母さまも素晴らしい方ですね。娘を自分の理想の型にはめるんじゃなくて、この子にとって何がいいのかをちゃんと見てくださる。高校進学の時なんか、まさにターニングポイントでしたもんね。
「本当ですね。母には感謝しています。私はもう、とにかく言うことを聞かない子どもだったらしいです。『こうしたい』という意思が強く、主張も強く。母は『親の思い通りにはまったくいかない、ということに出会って、やっと母親になった気がする』と言っていました。親も変わっていきますよね。
母は若い頃から幼稚園の先生で、子育てでしばらく仕事を離れていた時期もありましたが、今は軽井沢で『森のようちえん』の園長をやっています」
中澤さんは俳優としてご自分が演技をされるだけでなく、お母さまと同じ、教育者としての視点も持って「表現ワークショップ」をおこなっていらっしゃいますね。
「いやー私、まさかこんなことをするなんて思いもよらなかったです。ただ、小さな頃から夕食の時には、その日にあった出来事を家族みんなで話していたので、(母の幼稚園の)子どもたちの話にどこかで影響を受けてきたのかもしれません。
自分の子どもが生まれた時、この子たちに素敵な人生を送ってほしいと心から思ったし、そのためにこんなことができたら面白いのに、ということがどんどん自分の中であふれてきました。
表現ワークショップに来る子どもたちもいろいろで、初めから楽しそうな子もいれば、その場にいることで緊張する子もいます。一人ひとりをちゃんと見つめたい。『つまんない』とか『やりたくない』という子も、『ああ、本当は怖いんだな』『勇気が必要なんだな』『こういうことがしたいんだろうな』とか、思いを深く拾ってあげたい。
昨日でも明日でもなくて、今この子がどんな気持ちなのか、何をしたいのかを、目を凝らして見守りながらわかちあっていきたいです。短い期間でも、たったひとこと言葉を投げかけただけでも、大きく花開くんだという見本を見せてもらっている感じがします。自分が生きていく上での見本ですね。感動します、いつも。
大人になって『ちゃんとしなきゃいけない自分』というものに縛られていたけれど、素直に生きていいんだ、ということを子どもたちに教えてもらいました」
「今、私生きてる!」
「2年前から20年ぶりにジャズダンスを習いはじめました。まったく踊れなくて、もうビックリ(笑)。ほかの人たちはほとんどが10代後半から20代前半で、全然ついていけない。
でもね、とにかく楽しくて、踊りながら『ああ、生きてる!』って思いました、素直に。この時間は私にとってすごく大事で、こんなふうに思えることを少しずつ増やしていきたいです。
……実は、娘が新体操を習っていたのですが、あんまり楽しめてないんじゃないかなー、という感じもしていました。で、『ねえねえ、新体操の時、生きてるって感じする?』と聞いたら、『しない、全然』と言われて(笑)。じゃあ、やめよう、と。
何をしている時に生きてるって感じるか聞いたら、『本を読んでいる時。好きな本をひたすら読んでいる時、私、生きてるって感じる』と言っていました。
その時、子どもにもこの感覚を大切にしてほしいんだと気づきました。心で感じる、今やりたいと思うこと。それをたくさん集めて、素敵な人生にしてほしいです」
私の道を歩く
「ずっと何かの『一流』になりたいと思ってきました。私にできることは何だろう、どこで私が生かされるのだろうと。
今は、芝居で表現することも、子どもたちと関わることも、すべてが混ざり合っているこの道が『私の道』なのだと感じています。だからすごく『生きている』という充実感があるのかもしれないですね。
今後は、小学校で遊びの授業もやってみたいです。こんなヘンな大人もいる、ということを伝えたいな(笑)。私が関わっているワークショップやこども劇場などは、親がこういう芸術に触れさせたいと思って子どもを連れてくるわけですよね。でも、そういう経験をしていない子たちにも届けたいのです。そこで何を得るかは、その子たちそれぞれですが、体験したことがあるかないかはとても大きいことだと思います。だから小学校でさせていただくことで、広くたくさんの子どもたちに経験してもらえたらなと考えています」
(2019年9月12日 インタビュー)